2

2 誘惑

「なんだ普通じゃないか」
それが最初の感想だった。
ブルペンに居る投手もサブグランドに居る選手達もどこにも変わった様子はない。
投球練習にランニング、ストレッチ、どの選手もちゃんと動いてるじゃないか。
しかしそれにしてもクソ暑い。
この真夏に炎天下で練習をし、試合に臨むとは高校球児並みだな。
ドラフト1位で入ってきた期待の左腕がブルペンで投げている。
同じとき入った6位の投手とその当時高卒コンビで話題になった。
いや、今でもこの二人はニックネームで呼ばれ二人一組で人気がある。
スター性の乏しい地方球団ではその意味でも逸材だ。
その相方のほうは数人の選手とランニングをしている。
オレは同年代の彼らにかなり期待した。
それが4年目となるこの時期いくら仲がよかろうが二人してこんなところにいてくれては困る。
いや、社会人としてはずっと先輩の彼らにこんなことを言うのは失礼かもしれない。
彼らはオレよりずっと前から自分の力でメシを食っている。
どっちにしても、なんだ全然問題ないじゃないか。
オレは肩透かしを食らった感じだった。
なんだよ、特ダネは空振りかよ。
と苦笑しているとふいに目の前を選手が通りすぎた。
まだ面差しに幼ささえ残るが成長を期待されているキャッチャーだ。
「お疲れっす」
「あ、どうも」
と彼は軽く会釈した。
その時わずかだが違和感を感じた。
なんだろう。
オレはうまく当てはまる言葉を捜そうとしたがみつからなかった。
それにしても話にきいたとおり選手が間近をぞろぞろと歩いてゆくこの光景はファンには垂涎ものだろう。
挨拶をするとみんな礼儀正しく答えてくれる。
調子にのって写真を頼むと気楽に応じてくれる。
日に焼けた顔、たくましい体。
だが、、
オレはやはりなにかがひっかかる。
なんだ、この違和感この歪み。


オレはみんなをまるで高校球児のようだ、と思ったが、そうだ、それだ。
それが違うのだ。
真夏、汗、熱気、体温、湿度、うだる暑さ、熱さ。

熱さ。。

そうだ
ソレだ。

ソレがないんだ。

間近で見た彼らに「熱さ」を感じなかったのだ。
「最近投げやりなんだ」
トレーナーはそういった。
あぁ、そういうことなんだろうか、と最初は思った。

だがそんなこととは違う気がした。
なんて言えばいいんだ。

体が、、
そうだ体が熱くないんだ。

体温が、、。
体温が感じられないのだ。

頭のてっぺんの太陽はぎらぎらとオレを炙っている。
グランドの土も芝生もここに吹く風も深い深い緑もちらほらと見えるファンの横顔も太陽は強烈に炙っている。
それなのに、オレのすぐ目の前にいた選手たちからはその熱さが感じられなかった。
それはまるで違う空間に居るようだった。
彼らだけ歪んだ空間に居るようだった。

彼らだけ、冷たかった。

頭がくらくらしそうになったがなんとか体勢を立て直した。
気がつくと目の前にひとりの選手が立っていた。
「大丈夫ですか?」
「あ、いや、、、ども、大丈夫っす」
ブルペンで投げていたドラ1左腕の相方のほうだ。なるほど実物も男前だ、人気があるはずだ。
「熱い中、練習お疲れさまです、実はこういうもので、、」
オレは名刺を差し出した。
彼はソレを手にとり一瞥するとふわっとした笑みを浮かべた。
オレの腕が総毛だった。
ひとを魅了する微笑なのに何故だろう。オレは早くこの場から立ち去りたかった。
「調子はどうですか?」
オレはそれでも質問していた。
その目から逃れられない。
「ケガのほうはもう、、、」
もう・・・・だいじょうぶな・・・・んです・・・・か・・・
なんだか眠い。
彼は笑っている。

はっと我にかえったとき目の前にもう彼の姿はなかった。
午睡から目覚めたときのようなけだるさだけが残っていた。


                                 ★

「誰と話してたんだい?テツト」
タカヤがきいてくる。
「新聞記者だってさ」
「へぇ」
「いちおう名刺にはそう書いてあった」
「いちおう?」
「ガタイがアメフトの選手みたいにデカクてさ。頭あんまりよさそうに見えないけどな」
「ふうん」
「でも・・・」
「なに?」
タカヤが聞く。
「意外に鋭いヤツだったな」
「ひょっとしてタイプ?」
と言ってひゃひゃと笑った。
「ばかやろー」
オレは「こめつぶ」のようなタカヤの坊主頭をひっぱたいてやった。
「なんだヤッテしまわなかったの?」
「まだどんなヤツかわからない。泳がせる。使えるかもしれないしな」
「食事が足りないんだぜ~。早いとこ仲間を増やさないと。今朝なんか7~8人に食われちゃってさ。もう干からびちゃったよ、オレ」

あの朝、目覚めた全員は本能のままオレとタカヤとマサフミとケンタに食いついてきた。
みんな餓えていた。目が赤く光っていた。
首筋から鮮血が溢れかえり代わる代わるオレたちはむさぼられた。
半分気を失いそうだった。
「ハクシャクがその分あとで補給してくれたからよかったけどさぁ、あんなにいっぺんに何人もにヤラレルのはもうイヤだよ」
タカヤがふくれて言った。
「自給自足は限界があるってのはわかってる」
「だからその新聞記者をさぁ」
「急ぐなよタカヤ」

「そうだ急いては事を仕損じる」
「ハクシャクだ!」
タカヤが嬉しそうに言った。
「誰でもってわけにはいかないんだよ」
男は諭すように言った。
あの朝、出勤してきて「狂宴」を目の当たりにした賄いのおばさんたちは悲鳴もあげられないほどショック状態だった。
パニックを起こす前にハクシャクが催眠をかけた。
「ナニモミナカッタ」
おばさんたちはこっくりと頷いた。
「モウココニハコナクテイイヨ」
ふたたび人形のように頷いた。
そして二度と姿を現さなかった。
その後出勤してきた女の子も同じやり方でお帰り願った。
「彼女たちに用はない」
ハクシャクは言い放った。

「タカヤ、部外者に勝手に手を出すんじゃないぞ」
ハクシャクは釘をさした。
「わかってる。でもこのままじゃ」
「選別が大事なのだよ。ひとつ間違えるとわたしたちの生存の危機にかかわる。心臓に杭を打ちこまれたいか?」
最後の言葉にタカヤの顔がさっと蒼ざめた。
「ハクシャク!」
オレは反射的にタカヤの体に手を回しながら抗議した。
「やめろよ!」
まだ記憶は生々しいのだ。現にタカヤの体は震えてきた。
「少し言いすぎたか。しかしそれぐらいの慎重さが大事なのだ」
そう言ってハクシャクが姿を消した後
「泣くなよ、バカ」
オレはタカヤの「タイ米のようなぼーず頭」をこんどは撫でてやった。
 
                                  ★

暑さのせいだ。
オレは気分の悪さを自分自身に納得させようとした。
でもあのイヤな寒気の説明はつかなかった。
「テツトぉ」
と後ろからきた同期のライバルの投手が呼びかけた声にはっと目が覚めたのだ。
それまでオレはなぜか朦朧としていたようだった。

テツト、、、。
あの男のあの目。
今までのイメージとずいぶんと違った。
彼の肩に手をかけて「行こうぜ」と先を促したあの同期のノッポの投手の目の色も違っていた。
一瞬だったがオレは見逃さなかった。
というより目が引きつけられ逃げられなかったのだ。
やはり。
やはりなにかが起こっている。

試合は負けた。
社会人から一念発起してプロ入りした年長の投手が意地をみせ、かなり踏ん張ったが味方は彼の援護をしなかった。
若い選手達はいちおうセオリー通りに体を動かしていたがそれだけだった。
最後までコーチの姿をみることはなかった。
いったい何をしているのだろう。
監督は何を考えているのだろう。
こんどアポをとってちゃんときいてみなければ。
しかし、応じてくれるとは思えなかった。
首脳陣にはもはや何の力もないのではないか。そう思った。
ここではナニか違うものが支配している。
それは確信に近かった。
寮にいけばもっとはっきりしたことがわかるだろう。
今夜行ってみよう。
と思ったと時内臓の奥のほうから何とも言えない悪寒がした。
それが信号を送っている。
イクナ、、キケンダ、、。
その信号に素直に従ってしまいたい自分がいた。
しかし、それよりも好奇心のほうが強かった。意地もあった。
オレは新聞記者だぜ。ここでノコノコ撤退してどうするんだ。
いや、それよりも自分でも信じられないのだが「あの目」にもう一度みつめられたかったのだ。
どうかしている。悪い予感が背筋を這う。それでもどうしてもそれに抗うことができなかった。

つづく



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